
亀に関連する記事を集めてみました。
石川桂郎
四季 長谷川 櫂
石川桂郎は食道がんで身まかった。その療養中の句。病院の
ベッドに寝たきりになってしまった自分自身の姿を、ひっくり
返されて身もだえする亀になぞられた。その亀の鳴き声はひそ
かに桂郎のもらす泣き声。「亀鳴く」は晩春の季語。
小池 光
三島由紀夫が二十歳のとき書いた小説『中世』では亀が鳴く。「公がなすがままにおかれるので亀はお膝下まで来て双六の盤に掴まった。そうしてそれに凭り、 すっくと立った。雛畳んだ頚をのばし公のお顔を仰いでキキ、キキともどかしく鳴いた」。公は八代将軍足利義政、大亀は中世そのものの象徴である。
しかし、実際には亀は鳴かない。鳴きたくても音声を発する器官を持っていない。亀を鳴かせたのは三島由紀夫の若き幻想力のなせる荒技。
とはいうものの鳴くはずのない亀が中世の詩歌の世界では実は鳴くことになっていた。
川越のをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀のなくなり 藤原為家
もっとも鳴きそうもない動物に鳴き声を想定することで霊力を感じたのだろう。後に「亀鳴く」は春の季語ともなる。ありえない現象が季語に採用されるのだか ら季語の奥は深い。
馬につばさをつければ天馬、ペガサスになる。蛇は、ドラゴンになる。重量のかたまりの象だってウォルト・ディズニーはダンボにしてみせた。しかるに亀はど うイメージしても空中を浮遊しそうにない。鳴かないだけでなく、もっとも空飛び難く思える生き物が亀である。重く、平べったく、動作は極端にのろく、永遠 に地上に押し付けられてすごす。重力の宿命をこれほど甘受した存在もない。
もの言わず朝より食わずいる一日亀が沈みてゆきし幽明 伊藤一彦
何の華々しい抵抗もすることなく黙って沈んでゆく亀にわが心を重ねる。こういう気持ちになることは誰だってあり、すると亀のような存在が身に沁みて思われ るのだ。亀は一日どころか一ヶ月絶食しても平気で生きてゆける。
それでいて実に長生き。1773年、キャプテン・クックが捕獲してトンガ国の女王に献上したゾウガメが1966年に死んだという記録がある。クック船長の 顔を知っている亀が、全共闘運動のころまで世にあったとは!鳴かず飛ばず、なんと悠々と生きること。 (歌人)
天声人語
タートルバンクという風変わりな銀行がある。カメ銀行、つまりカメを貸し出す銀行 である。貸出先は、子どもに限られる。義務は、借りたカメを育てることで、返済の期限はない
兵庫県の姫路市立水族館が88年に始めた。当初は子ガメを貸し出したが、孵化容器 を改良し、途中から卵にした。生命力旺盛なカメとはいえ、卵は弱い。死んでいく卵も少なくない。子どもたちはカメの生と死に立ち会う。市川憲平主任専門員 は「いのちの不思議さと大切さを子どもたちに知ってほしいとの願いを込めた試みです」。ちょうどいまが産卵期だ
カメというのは不思議な生き物である。ほぼ2億年も地球に生息してきた。その間、 姿形をほとんど変えないでゆっくりと進化した。悠々たる存在である
カメの特徴はもちろん甲羅である。外敵から守ってくれる強固な鎧だ。種類によって は自分の体重の200倍の重さに耐えられる。そこにすっぽり身を隠す。骨格には無理が強いられる。楽な作業ではない。悠々の時間を生き抜くために築いた知 恵である
カメの寿命の理由を調べたことのある三重県・鳥羽水族館の中村幸昭館長は「雑食だ が、旬のものを好む。我慢強い。暑さ、寒さに強い」などをを挙げながら「ゆったりとした生活でストレスがないことが大きい」と語っていた
東京新名所の一つといわれる港区の「カレッタ汐留」、その「カレッタ」はカメの学 名に由来する。現代人もあくせくしないカメの生き方を、との思いからだろう。カメへの畏敬の念が消えることはない。
山口 吾一郎
青森県の下北半島と聞いて、恐山や原子力船を思い浮かべる方は多いだろう。その津軽海峡に面した浜辺に世界でも最も古い時代の海底林がある。
私はむつ市の津軽海峡に面した海岸の側に住んでいる。浅瀬に目をやると、海の底に根差した樹木が何本か波に洗われているのが分かる。干潮時には何本 かが顔出す。腐りもせず、化石にもならず、少なくとも五万年前から存在するという。十年前に私が発見した。それ以来、専門家の協力と調査を続けている。
十年前といったが、海の底に木が生えていること自体は五十年前から知っていた。私はそのころ十代で、漁師をしていた。魚を捕りつつ横目で「ふうん、 海の底にも木が生えるのか」と気にもとめなかった。
二十五歳で上京、隅田川の水上バスの船長になった。時折、故郷の海を懐かしみながら「あの海の底の木々は何だったのだろう」と思い起こした。
調べてみて、下北半島の太平洋側の浜辺には八百-二千年前の、富山県の海には一万年ほど前の「海の底の林」が現存することを知った。海水面の上昇や 地盤沈下で、かつての陸地が海に沈んだ結果だという。
故郷の海底林はどれほど前のものなのか。そう考え、六十歳の定年退職で故郷に帰ったのを機に海底林を探してみた。だが、長い月日を経て、当時の浜辺 には原子力船「むつ」の母港が建造されており、砂浜の侵食も激しく、情景は一変していた。遠い日の記憶をたどって何日も浅瀬をさまよったが、海底から生え る木は見つからない。
幻でも見たのか、記憶違いじゃないかーー。周囲から言われた。こうなったら徹底的に探そうと心に決めた。十代のころ見た木々は海藻や貝が付着し、一 見して、ただの岩のようにも見えた。私は長い木の棒の先に針金を取り付け、浜辺の岩という岩を突いて回った。
岩ならかたい手応えだが、木ならぶすりと刺さるはずだ。毎日恐山を仰ぎ見ながら、岩をいくつも刺して回った。年月が流れ、「ぶすり」を実際に感じる までに四年が過ぎていた。見つけた木をのこぎりで切断すると、鮮明な年輪がはっきりと見て取れた。約五十年ぶりの“再会”だった。
その近辺で海底から生えている状態の木を合計何本か見つけた。水深一・五-二メートルの海底に、直径五十-七十センチの木が、高さ一メートル足らず のところで折れた状態で存在していた。それ以降、長さ三キロの海岸線にわたって、五十本以上の木が海底から生えた状態で残っていることが分かった。
富山の海底林を専門に研究する方にお願いし、炭素年代測定法でこのうちの一本を調べてもらった。少なく見積もっても五万年前の木という結果だった。 世界的にもこれだけ古い時代の樹木が木の状態のまま海に残っているとは聞いたことがないという。
では、なぜそんなにも長い間、これらの木々は劣化から免れたのか。これには専門家の方たちに聞いてもはっきりとした解答は得られなかった。そこで、 付近の地理的条件や周辺の地層などを調査し、自分で仮説をたてることにした。
まず、海底林が根差す部分の地層を調べてみた。すると大部分は火山灰が大量の水を含んで粘土化したもののようだった。付近には火山である恐山があ る。数十万年前は活発な火山活動を繰り返していたという。
粘土と塩水が防腐効果
当時、まだ陸地だった場所に生えていた木々に火山灰が降り積もり、洪水などによる泥流に巻きこまれ堆積したと私は考える。その後、氷河期と間氷期の繰り返 しで海水面が上昇。粘土と塩水の二重の防腐効果で、海底林は存続することができたのではないだろうか。
また、海底林の木は多くがヒノキ科のサワラの木だ。だが、サワラは現在、福島県以南で主に成育し、青森ではほとんど見られない。海底林の木々が地上 に存在した時期の気候が現在と大きく異なるのだろう。
こうした研究と調査をまとめた「海の中に氷河時代の森林があった」を自費出版した。しかし、海底林についての仮説の証明はこれからだし、はるか昔の 下北半島の海や陸地の状況、植生、気候はどのようなものだったのかなど、考えたい課題は山ほどある。仕事を引退した私に夢と目標を与えてくれた故郷の海底 林に感謝している。
(やまぐち・ごいちろう=元水上バス船長)